2012年01月24日

深い新人ジョンのこと

昨年の10月より、自分の事業所に新たなる仲間が加わった。自分が所属する福祉用具専門相談員の増員のためである。

お蔭さまで、仕事が順調?なのか、まあ、とにかく自分の働きっぷりは足をひっぱりんこんなんで関係なく、様々な方々の支援や支えや、何より先輩のJさんの力で忙しくなり、自分とJさん2人ではそろそろ限界点に達し、白目をむいてしまいそうだったためである。

そんな訳で、新たに加わった戦友。その名は「ジョン」

ジョンが入社する前の面接では自分も立ち会わせてもらい、その時の第一印象は「飾っ化のないまじめそうな奴」という印象だった。

間違っても「ぷっ!あっ、おならこいちゃった?えへへ♪」のような冗談などはかますことない、生真面目な奴と言う印象。

ジョンが入社した。一緒に同行などをしつつ仕事を覚えてもらうがために、自分なりに相変わらずなパッションをぶつける。でも、ジョンときたら恥ずかしがり屋さんなのか?やはり、根っこから生真面目なのか?俺が嫌いなのかいつも反応が薄い。

「ジョン。もっとこいやっ!」っていつも心の中ではぶつかり稽古の準備は万端なのに、なんせジョンはぶつかってこようとしない。やはり恥ずかしがり屋さんなのか?

ジョンは飾らない。そもそも、ジョンの由来も「眼鏡がジョンレノンっぽい」というところから付けたネーミングであるし、ジョンそのものも「自分はもういいんです」のようなことを言う。

そんなもんだから、ジョンときたら一切オシャレには気を使わないし、とにかく仕事は置いておいたとしても「男」としてのパッションを感じないところを自分もJさんも懸念していて、何とかしてやりたいと目論んでいた。

そんなことを感じていた折にジョンはまたしても我々を驚愕させた。仕事終わりで更衣をしていた際に、ジョンが仕事のトレーナーを脱いだと思いきや、そのトレーナーの下のインナーに激しく衝撃を受ける。

白の長そでの上に白の半そでスタイルだった。

「白白」である。今まで様々な重ね着を拝見してきたのだけど、白の白は生まれて初めて見た。絶対に死ぬまでに一度も見ることはないだろうと考えていた「白白」。

せめて、半そで側にワンポイントでもあれば、自分の中では無しではないものの、洗剤のボールドでも使って洗ったのかい?ってほどに白いものを重ね着をしていたジョン。

もちのろん、それを見た瞬間に激しくツッコミを入れさせていただいた。「白白」はいくらなんでも無しであることを。

かてて加えてのジョン。自分の職場の先輩が自分のデスクの椅子に先輩のコートを掛けていたというシュチュエーションがあったため、これはもしかしてジョンに突っ込みをさせるチャンスと思い、自分が外出をする際にその先輩のコートをさりげなく羽織って外出をしよう試みた。

すると、あの有名なジョン。

世界で一番感情のこもっていないトーンで

「あっコート違いますよ。」

だって。これじゃあ、自分がただの「間違った人」になってしまうのは必然的。これは先輩として警告をしなければと、ジョンにいかに空気の読めていない返しをしたのかを事細かに説明をする。

だがし。ジョンにはあまり響いていない様子だった。ジョンのことが心配である。

でも、そんなジョンが変わってきた。今までどんなにジョンの前でさりげないボケをかましても突っ込むことさへしないジョンが少しずつ変化を見せてきたのである。

入社当初はあまり昼食の量を摂らなかったものの、昼食もジョンの体格に見合った量を食べるようになり、日々の笑顔も増してきた。

そんな折。自分の携帯にジョンからのメールがあった。内容は仕事の内容の些細な報告事項だっただったのだが、そのタイトルがいつものジョンと違った。

「アザ〜〜ズ」ってタイトルが辱めもなく掲げられていた。仕事で繋がりのある人物が最近使う決まり文句で、自分たちの中で密かにブームになっていた。

それを例のジョンがタイトルとして使っていた。今のジョンなりの精一杯である。嬉しかった。嬉しかったけど、文章でのボケは自分の中ではややルール違反なので、半分注意をして、半分ジョンに対して敬意を払った。

こうして少しずつ成長をしていくジョンをJさんや自分は嬉しく思っていたし、なんとなく今後の我々の部門の拡大を予感させるジョンの成長っぷりだった。

少し前のこと。ジョンを加えたメンバー5人で我が家でお食事会をする機会があった。事業所の若手のケアマネさんが料理を作ってくれるという集まりだった。

そんなメンバーの中にジョンがいた。そのお食事会の時に、なんとジョンが気の効いたことやってみせた。

そのお食事会を盛り上げようというジョンなりの気配りだ。差し入れを買ってきたのである。なんて優しい奴なんだと少しばかり関心をしたし、自分も見習うべき点だと改めてジョンの新しい一面を見出した。

そして、そのジョンが買ってきたものとは「フルーツタルト」だった。実は、あれだけ日常から履いている靴が靴流通センターとかで安価で売っていそうなものであったり、来ているコートがおじさん臭いだとか叱咤激励をしてきたジョンが「フルーツタルト」を買ってきたギャップが凄かった。

もう、紛れもなく「オシャレ」である。

さりげなく「やられた」と思った。

かてて加えて、その「フルーツタルト」をどうして買ったのか?とJさんが尋ねたところ、「帰り道で気になっているお店があったから」とジョンが答えたという。

ショーウィンドウに陳列されたケーキたちを見て、いつも帰り道で気になっていたから買ってきたジョン。

「カッコ良い」

そのフレーズは、自分が知りうる限り「カッチョ良い男が発言して良いバージョン」のやつだった。

そのフレーズをジョンは辱めもなくさりげなく語ったという。あの「白白」のジョンが、女子だったら多くが喜ぶであろう『気になってお店でさりげなく買うパターンのやつ』を飾ることなくやったいう。

ジョン深い。と思った。

まあ、いずれにしても自分の日常にささやかな彩りを与えてくれるジョンに今はただただ期待をしているし、戦友としてやっていけたら面白そうだなと感じている。

Jさん、ジョン、時々自分。わくわくする。

PS:ちなみに、お食事会の時にジョンが履いていたズボンのポッケの横にこう記してあった。

「DUNROP(ダンロップ)」

やはり深いジョン。




ニックネーム どらごん at 21:53| Comment(1) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2012年01月22日

荒々しい新年

って言ったってもう遅いのは百も承知で「あけましておめでとうございやす」
底冷えのひどいこの住まいで、日々チアノーゼ寸前でなんとかやってます。
そうです。僕です。

昨日の昼。電子レンジで冷凍食品の「かも南蛮そば」と「焼きおもぎり」を4分ほど温めるという一連の動作をまじまじと客観視してみた時に思うところあり。

「こんなのもあり」と。

ここ最近、なんだか焦る。「藁にもすがる思い」ってレベルにまで達していないものの、「ロープがあったら握ってみたい」ってところだろうか?

まあ、いずれにしてもそろそろ走るべき御年頃なのかな?なんてぼやっと思う。

んじゃ、何をいったい焦っていて、何をもってこのこの心のぽっかり感を穴埋めできるのか?もし、それが「幸せ」ということであれば、幸せの感じ方は人それぞれであって然るべく。

例えば、カニ缶の周囲に覆われている「あの白い紙のようなもの」をはがす時に絶頂に達するであったり。

高級和菓子、高級洋菓子に必ず付いている箱を開けると凛とした感じであるあの白い紙に透けて見える姿ににテンションがあがるとか。

家電のクッション材のプチプチ君を、激しく破っている瞬間とか。

ここで我思ふ。

幸せの先には必ずワンクッションがある。言い換えるならば、何かしら1アクションがあり、なんでもかんでも簡単にはいかないものであると。

そんな訳あってやってみたりしている。

「婚活」というお化けを。

このお化け。不思議なもので昔に感じた何かを思い出す。「就職活動」

人生のベクトルを決める大きな転機には必ずこの「活動」というフレーズが付きまとってくる。

やはり、結婚しかり就職しかり。やはり何かしらの「活動」の先にエクスタシーありなんだとしっぽり感じている。やるしかないんだな。。。

本来であれば、昨日の電子レンジの時間の「こんなのもあり」という感覚も大事にしたいが。。。

ここで急展開だけど、新年一発目の日記と言うこともあり自分の今年のスローガンを発表しておこうと思う。

「荒々しい」

だからと言って、急に胸毛をはやし、口ひげをたくわえ、ライダースジャンパーを着て、かてて加えてハーレに乗って湾岸を走るってことではない。

あくまでも、自分の行動ということ。

とくにプライベート部分で今年はこのスローガンを意識していこうと思っている。

吉とでるか凶とでるかは神のみぞ知る。

んな訳で、今日も何か荒々しいことをやってやろうと目論んでいる。

とりあえず今日は、BZの稲葉さんばりのG短パンでお出かけなんてしたら荒々しいかな?とかを模索中である。




ニックネーム どらごん at 08:31| Comment(2) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年12月24日

「メリークリスマス」

二日続けて飲み会だった帰り道。もう、ここ数日の冷え込みときたら30代半ばの、コーヒーのブラックを2杯も飲めばすぐに「おしょうすい」を垂れ流したくなるような身体状況な自分にとって、たいへん厳しゅうございますな師走を感じている最中に駅のコンビニ前が騒がしい。

何度も何度も同じフレーズが自分の耳に飛び込んでくる。

「どうする!?俺んち行く!?帰る!?」「俺んち行く!?帰る!?」

のような雄叫びが、師走の終電一本前の電車に乗り、皆が皆この師走12月の飲み会が1回目ではないだろう疲れっぷりの、やれサラリーマンだやれOLだやれ自分だのの、我が家に1秒でも早く帰りたい群の周辺にこだまする。

年頃20代半ばだろうほどのホスト風の男子が、これまた年頃20代半ばであろう女子に
自分の家に引きづれ込もうと必至である。

別にそんなもん出ていた訳ではないのだけど、自分には明らかにその男子がかもしだしている「性欲」というオーラを目の当たりにした。

さらに、自分がその二人の脇を通り過ぎようとする距離感になってからは、もう、その男子はラストスパートを掛けたらしく、さっきまで発しいたフレーズにダッシュマークがついていた変化を自分は逃さなかった。

「どうするの!?俺んちいく!?帰る!?」の連呼が「どうする!?行く!?行くでしょ!?どうしていかないの!?」って、完全に「帰る」という選択肢はその女子に与えられていなかった。

仕舞の仕舞には「行く?!行く!?イク!?イク!?いっちゃう!?」って感じになり、まだ、その男子の家に向かってもいないのに、もうことが始まっているような雄叫びをかます男子。

「選択の自由」

そんなフレーズが自分の脳裏をよぎった。彼女には選択することの自由が本来ならば
あるはずなのに、そのホスト風の男子の選択肢には、その女子の「帰る」という選択肢を完全に奪っていた。

「メリークリスマス」

こんなフレーズがあるが故に、男は暴走し、ある少女の選択肢すら奪ってしまう。恐るべしメリークリスマス。

そして、そんなフレーズがあるが故に、その日の勝者と敗者をさっくりと2分割してしまうメリークリスマスに時として理不尽だと感じる今日この頃。

だからと言って、クリスマスイブという今日に1人でエグザイルのあまーい美声を聞きながら、こうしてキーボード叩きつつ「自分は敗者である」ということを認めるつもりはさらさらない。

だって、来年は「辰年」なんだもの。

そんな自分を、右斜め前にある鏡が辱めもなく映し出している。少しだけ哀愁。

「メリークリスマス」

あっ!そうだ!もう寝よ。

ニックネーム どらごん at 22:42| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年11月27日

空也上人がいた

ちょっと前に、職場の上司から進められて読んだ本。

『空也上人がいた』

と、言う本を読んだ。

内容は以下の感じ。

ヘルパー2級の資格を持っている青年は、特別養護老人ホームで働いていた。
廊下でつまずいて、押していた車椅子のおばあちゃんが飛び出してしまう。ケガはなかった。だれもが辞めることはないと言う。でも青年は辞める。
その六日後におばあちゃんは死ぬ。ケア・マネージャーである重光さんは、辞めた青年に、独り住まいのおじいちゃんの世話をしないかと持ちかける。
物語はそんなところからはじまります。(ある記事を引用)

主な登場人物は

27歳のヘルパーをやっている青年。
46歳のケア・マネージャー。
81歳のおじいちゃん。

の3人なんだけど、この3人が過去に背負った心の傷を負いながら、かつ、大きな年齢を超え、恋愛感情も芽生えるような、情景としては一見ディープなんだけど、スローテンポな雰囲気でありながらも、読み始めると一気に読める一冊。

とくに、介護に携わっている人なら、どこか抱いたことのある感情に惹きつけられたり、我々が日々相手にしている方々が、いくら年を重ねても消えることのない感情を抱いているであったりというものを再認識させられるような一冊だった。

介護の仕事っていうのは、とくに現場で働いていた頃によく自分に言い聞かせていたのだけど、「初心忘るるべからず」という自分が介護という職を選んだ理由、その当初に抱いた気持ちというのが大切なことだと思う。

だがし。実際に現場で働くと、様々な人間関係であったり、社風であったり、立場であったりというものに押しつぶされて、いつしかそんな初期の感情を忘れていく。

そうこうしているうちに、「利用者の方本位」というフレーズが、いつか「綺麗事」であったり、または、「理想論」というものに変わっていく。

そもそも、我々は同じ人間の「気持ち・感情」を相手にしている職種でありながらも、さりげげなくそんな気持ちはどこかへ去り、お年寄り・人間の本質的な部分の気持ちをないがしろにし、気がつかないうちに「自分本位」になっていたりもする。

この本を読むと、81歳のお年寄りが恋愛感情を抱き、それでも叶わぬ恋であるという気持ちと葛藤し、その自分の複雑な感情を27歳の青年に託し、継承していくというイメージを自分は抱く。

いくら年を重ねても、人に恋することだって自由だし、自分の意思、感情を貫くことが不謹慎であるというルールなんてないし、そもそも、高齢者になったら恋愛してはいけないであったり、あれやこれをしてはいけないルールなんてない。

そんなもんないのに、人間の先入観や、常識意識ってのはそういった人間の感情でさへ抑制したり、その人個人の「個性」を殺してしまうことがある。

そして、我々介護者と言うのは、結構身近な立場でそういった「個性」を活かすこともできるし、逆に「抑制」することもできてしまう恐れのある、責任のある仕事をしているように思う。

自分もそろそろ介護という仕事に携わり10年になる。そんな10年の中で、職員、利用者さんを含めて本当に沢山の出会いがあったと思うのだけど、もちのろん、全ての人が自分と同じような価値観であったわけではない。

そして、どの価値観も間違いではないし、とくに、介護する側の価値観っていうのは、人間なんだから十人十色であって然るべく。

そういった十人十色って言うような部分をさりげなく尊重しつつ探り合っているのがこの介護業界の良い部分でもあるし、視点を変えると、なんだか飛躍的に良い方向に変化出来ない、逆にもどかしいというか、地団太を踏まざるえない部分でもあると思う。

個人、法人、企業などによって皆が皆同じベクトルではなく、なんだかしっくりとこない感じが自分の中では否めない。

いちばん簡単なのは「んじゃ、そんな深く考えないでノリでやればいいじゃん!」ってことに通ずるし、たしかに介護という仕事をシンプルに「給料もらうがための手段」ということで、平坦な感情で仕事をすることはできるし、そうなれば、もしかしたらもう少しメンタル的にも落ち着くのかもしれない。

だがし、そうなるってことは、冒頭に記した「自分がこの仕事を選んだ理由」に対して嘘をつくことになるし、妥協になるし、なんだか自分っぽい感じがしないように思う。

この仕事って価値観と価値観のぶつかり合いを感じた時がいちばんメンタルを激しく刺激するし、どっぷりとうつむきたくなる瞬間であったりもする。

きっと「何か」が変わらない限りは当面はこういった感情と向きあいつつな仕事になるだろうし、まあ、その部分も含めた覚悟はできているし、その感情に勝ることがなかったら30歳前後で違う職種に転職してたのだろう。

あーあ。また、感情論に近い文章になっちった。。。

でも、この本はなんだか、色んな今までの自分の介護観のようなものを再度呼び起こしてくれる一冊になったように思う。久しぶりのヒットかな。

星 ★★★★☆


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*せっかくカレー本を買ったから、昨日違うカレーを作ってみた
「バターチキンカレー」ってやつ。
スパイシーながらも、どこかコクがありまろやかな仕上がりに。
トマトベース色が強いカレーって結構同じような色合いになりがちなんだね。。。
前回作ったものとあまり見た目的に大きく変わらない雰囲気が否めない。。。
まあ、味はまったく違うのだけどね。








ニックネーム どらごん at 11:51| 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年11月20日

穴に埋めてほしい瞬間

最近はすっかり順調に年を重ねて、とうとう訪問先のお孫さんに人生初の「おじちゃん」ってお言葉をいただくことができた。いぶし銀である。

これは「お赤飯」でも炊いて少しばかり羞恥心を抱きつつのお祝いなんてこともしてやろうと一瞬考えたけど、寂しすぎて凍死しそうなのでやめた。

基本、年輪を重ねることは今のところウェルカムな精神状態だから、まあ、おれもやっとこの域まで達したかっ!ってことで良しとすることにした。

だがし。まだまだ脳が衰えるということに関しては、プライドを持っていたいと思っているのがホントのところなのだけど、最近そっちもやばいことになっている雰囲気が否めない・・・。

最近は、仕事が忙しいということはあまり理由にしたくないのだけど、あまりアクティブな感じではないので、友人などと積極的に連絡を取り遊んだりすることはめっきり少なくなった。

最近の週末と言えば、なんだか乙女ちっくで気持ちが悪いかもなんだけど、料理をすることが自分にとっての「ストレス発散」になっているため、買い物をして、料理をするという時間が流れるので友人との接点が少ない。

自分くらいの年齢になると、ある程度積極的に連絡したり、予定を組み込んでいかないと、周囲が結構な感じで家庭を築いているため、交流を持つ機会が激減する。

だがし。どっちかというと、得意技が「一人遊び」と自称していることもあり、休日を1人で過ごすことに充実感を得ていることも否めないということが、自分の長所でもあるし短所にもなっている。

そんな自分も1カ月に数回ほど「オセンチ」になる瞬間がある。「誰かと話したい」しかり「連絡がほしい」しかり「食事をしたい」などなど。

少し前の仕事帰り。その日は月に数回襲ってくる「オセンチDAY」なメンタルだった。そんなオセンチDAYな自分にタイミング良くお誘いがあれば、最高なことである。でも、普段ずぼらな自分にそんな都合の良いタイミングはなかなか無いのが多くである。

でも、その日は少し違った。そんなオセンチDAYな自分のMY携帯に着信の履歴がタイミング良く残っていたことに帰りの電車の中で気がついた。

でも、自分の携帯にあらかじめ登録してある数百件の登録メンバーでなく、電話番号がそのまま残っているという、未登録の電話番号だった。

と、なるといかがわしい感じの電話がまずは脳裏を過ぎり、通常ならシカッティングコースなのだけど、なんだかその番号に猛烈な違和感を感じる。

そう。紛れもなく「見たことのある電番号」だったのである。

こうなってくると、そのまま受け流すこと出来ない気持ちが生じるわけなんだけど、なんせこんな時代。

普段知らない電話番後には基本的には折り返しをしない自分。なぜなら、そんな知らない電話番号に掛けなおして、いわゆるそっち系の人に覚えもない請求を要求された経験があるもんだから、かなり過敏になっている。

でも、今回の着信履歴にはどことなく「見覚えがある」自分のメモリーを刺激する「何か」がどうにもこうにも気になる。

ネガティブに考えれば「リスク」だけど、ポジティブに考えれば、これはこれで何か「トキメキ」を抱かざる得ない状況でもある。

そう考え始めると、自分の得意分野の「妄想列車」が蒸気をあげて出発しんこーうっ!なわけであって、様々な妄想が止まらなくなる。

「もしかしたら、元奥さんが寄りを戻したいなんて電話ではないか?」

「昔の学生時代の同級生の女の子から、今日会いたいなんて電話ではないか?」

「数少ない合コンで出会った女性からの突如の告白なのではないか?」

などなど、とにかくポジティブな妄想が凄い。

そうこうしているうちに、自分の自宅のある駅に到着してしまい、それでも折り返しをしようか?しまいか?を馬鹿みたいに猛烈に迷い込む自分・・・。

もし、自宅に帰ってから電話を掛けなおし、誘いのお電話だった場合に、また外出するのは面倒なので、駅のホームに立ち止まり猛烈に考え込む自分。

第三者が見たら、ジャブ程度に「挙動不審な変なおじさん罪」ということで連行されても致し方ないという雰囲気がやばい・・・。

そう考えると、このままでは挙動不審な変なおじさんなままでいる時間はより短かいほうが良いし、きっとこのまま帰っても気になって仕方がないこと必至なので、もうここは勇気を振り絞って、このジャブ程度に見覚えのある電話番号に折り返す決意を固めた。

「よしっ、もう死んでもいい」くらいの気持ちで、思い切って折り返しをする。

元奥さんなのか?!昔の同級生なのか?!合コンの娘なのか?!ヤクザなのか?

自分でも心臓の鼓動が高まっているのを感じ「ドクンッドクンッ」って軽くリズムを刻んでいるのがわかる。

すると、なんだか自分の下半身に猛烈な違和感を突如感じ始める。

「ブルブルッ♪ブルブルッ♪ブルブルッ♪」って感じで、明らかに自分のズボンのポッケの中で何かが猛烈に暴れている。

「ドキッ」としてポッケに手を突っ込んでみたら、あらビックリ。

なんと自分のポッケの中で暴れていた暴れん坊は、自分の会社携帯だった。。。

思い返してみると、会社の帰り際に自分のMY形態が紛失し、どこにあるのかを確認するために会社携帯からMY携帯に連絡をしたのである。

その着信履歴が嘘偽りなくしっかりと残っていた・・・。

と、言うのが自分が帰りの電車の中で激しく胸を踊らし、また、ヤクザという驚愕な魔物まで勝手に作りあげ、かてて加えて、さりげなくキュンとした元奥さんとのラブストーリーまで思い出させた事件の全てだった・・・。

さすがの自分も自分が情けなく、思わず駅のホームで小さい声で会社携帯に向かって「お前かいっ」って突っ込みを入れてしまった。

会社携帯の自分の番号を把握してなかったのがそもそもの原因であって、「絶対見たことのある番号」と言うのも、もちろん自分の会社携帯の番号なので、名詞にも書いてある。

ようは、自分が自分の会社の携帯番号を把握していないモチベーションが今回の一連の事件の発端であることが情けなく、駅のホームで軽く赤面をしている自分が小さく感じたし、「穴があったら入りたい」を超え「いっそのこと穴に埋めてほしい」という精神状況にも陥った・・・。

これが初めてならまだしも、実は2回目であって、前にも会社携帯が紛失してしまった際に職場のケアマネージャーさんに確認をするために自分の会社携帯に掛けてもらい、それを忘れて翌日に「電話くれました??」的なメールをしてしまったことがある・・・。

んな訳で、こうやって自分の脳細胞は日々崩壊し、誰も関わることもなくたった一人でここまでのストーリーを作り上げてしまう自分に一抹の不安を感じるとともに、このままではそのうち「ノーパンでの出勤」や「サイドブレーキ掛けっ放しでの運転」であったり、仕舞には「リンスを流すことなく営業活動」なんてことやりかねない。

本当にそう考えると、そろそろこんな自分のことを見守ってくれる嫁さんを見つけなければ、何かをやらかしてしまいそうな嫌ぁーな予感が最近凄い。

誰かこんな僕の見守りを買って出てください。


きっと良いお嫁さんになりますっ(笑)


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*最近、さりげなくはまっているのが「カレー」と「納豆レシピ」
今日は、なんとなく「白米系」ではなくパスタを欲した日曜日。納豆、ツナ、大根おろし、マヨネーズ、そばつゆ、卵の黄身、醤油、ネギ、刻みのり。
こんなんで結構レストランチックなパスタが出来たとさ。





ニックネーム どらごん at 20:16| Comment(2) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年11月06日

FOR THE インド人

あることに気がついちゃったのだけど、最近の自分の日記の画像がかなりの確率でなんかしらの料理が載っている偏ったものになっていること。

なんでだろう?ってちょっぴり考えたのだけど、答えは簡単で、予定のない週末は料理をすることでストレス発散をしているスタイルだからである。

このスタイルが良いのか?悪いのか?ってことはわからないし、もっと違う方法もあるのかもしれないけど、なんせ今の自分には結構な比重で楽しみの1つなっているから、素直に受け入れようと思う。

んなわけで、今日も昨日から何をしようか検討をした結果出た答えが「本格カレーのレシピを増やしたい」というなんだか訳のわからない発想が生まれた。

なので、午後から買い物に出かけて、本屋さんで散々カレーに関する本を選びに選んで購入し、15時くらいからまったりと始めることに。

自分の中でのコンセプトは「インド人もびっくり」であって、ようはインド人がびっくりするほどにうまいカレーを作ることに今日という日曜日を捧げることに。

この「休日の過ごし方」が世間的に正解なのか?不正解なのか?って問われたならば、まあ、どうなのかわからないけど、とにかくカレーに情熱を注ぐ日曜日があっも誰も怒らないし、裁かれることもないのでやることに。

もちのろん。カレーのルーなんて近代的なものは使うことなくやりきる。

んな訳で、本屋で買った本を西友で開き、それを読みながらの買い物をする。

本を開きながらの買い物ってのは思いのほか「レア」らしく、自分のことを「こいつ何者だ?」的ないやらしい目で犯してくるおばちゃんたちをよそに、自分は材料を買いあさる。

少し前に「ローリエ」を「ロリエ」と間違えられる事件春の陣の一件があったもんだから、今回は是が非でも自分で買う意欲がそんじょそこらではない。

やれ、ターメリック、やれ、ガラムマサラ、やれ、クミンシード、やれ、チリパウダー、やれ、パチョレック。

パチョレックは「わに」を食う助っ人外人だから嘘だとして、それ以外のものを探すのに相当な時間を費やす。

しかし、今回はしっかりと購入することができ、全体的な金額もたまねぎ君やトマトちゃんを入れても1800円と映画をみるくらいの金額で抑えることができた。

これなら、休日を1日を過ごす予算としては「あり」な予算である。

そんなわけで、詳細は画像に残そうと思う。


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*今回使用した材料たち。パチョレックはないけど、香辛料の数が多く、作る前から不安が激しくわいてくる。実は一瞬だけやめようと思った瞬間あり。


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*本屋で2冊の本を買う。あっ。この本の代金を入れると、彼女の分の映画代金も払えたくらいになることを後悔したのもつかの間、彼女がいないことに気がつく。妄想が凄い。


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*今回は無難に本の冒頭にあったチキンカレーをセレクト。さあ、この写真にどれだけ近づくことができるのか?どきどきワクワクであるが、激しく空しい。


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*完成。たぶん、ターメリック?なのかな?分量を間違え、結構な激辛風味に。一口目を食らった時に「うわっ!からっ!」って大声を出してしまい、思わず誰かに聞かれてしまったのでは?と周囲をキョロキョロみたら、もちろん誰もいなかった。


だがし。味は今まで作ったどのカレーよりもうまかった。「後を引く味」というのが率直な感想。でも、インド人がびっくりするかはわからないので、今度インド人の友人に食べてもらおうと思う。あっ。インド人の友人いねぇや。

ニックネーム どらごん at 18:40| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年11月05日

ぶどうを食らう沈黙

「秋」っていうのは「ほにゃららの秋」のようになんだかタイトル染みた季節なもんだから、なんだか自分の生活においてもタイトルを付けたくなるような行動をとりたくというか、簡単に記すと意欲的になるような気がする。

んな訳で、ちょいと前に職場の方々が企画をしてくれた「石和温泉」への旅行に自分も参加をさせていただいた。

季節も良いし、ゆっくり温泉にでも浸かって日ごろの疲れを癒そうではないかってのが概ねの狙いである。

メンバーは残念なことにって表現はみなさんに失礼なんで、残念なことに野郎4人での旅となった。

ここ数年、年に数回は旅にでているのだけど、必然なのか?偶然なのか?なんだかメンバーが自分を含めた野郎4人というのが常である。

だがし。こうやって、お声を掛けていただいている内が華であることは間違いないし、これからも精力的に参加させていただこうと思う今日この頃。

さて、正直ここ最近忙しいし、この旅付近の自分の体はというと正直「疲れMAX」な状況だった。

でも、1泊2日の旅行なのに本当に沢山のことを経験し、本当に楽しく気分転換のできた旅行になったことは間違いない。せっかくなので、今回は自分があまりシャッター回数をあまりきれなかったので、少ない画像だが思い出として日記にのっけておこうと思う。


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*「小作」という地元では有名なお店で夢だった「ほうとう」をいただくことに。もう、ここ最近ほうとうへの思いが凄くてどうしても食べたかったから最高だった。やはり、本格派のお店のものは激しくちがう。なんせかぼちゃがでかいっ!


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*何かを「狩る」って経験が今までの人生なかったので、今回のぶどう狩りはある意味デビューだった。ちぎっては食らい、また、ちぎっては食らう。そこにあるのは「沈黙」だった。もう30をゆうに超えたおっさん4人が「沈黙」の中、ただひたすらにぶどうを食らう様。あれは異様だった。


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*お夕食。日ごろ宅配サービスの自分。こんな豪華なもん食らったら、少しだけ死んでも良いとは思わないものの、まあ贅沢だわな。


とにかく、自分に至ってはたぶん20時近くにオネムになってしまい、さっそうと旅館で寝てしまうというハプニングはあったものの、覚醒している時間は本当に有意義な旅行だったとさ。
ニックネーム どらごん at 23:00| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年10月10日

「THE介護」

ちょいと前にこんなことがあった。夕方18時くらいから研修があり、その日の仕事もなんだかばたばたしていて、研修に参加することによって、その時間は仕事ができないもんだから帰りが遅くなること必至だった。

んなもんだから、案の定上司のJさんと自分は21時ころになっても事業所でせこせことPCに向かい仕事をしていた。

そんな折、事業所の電話が鳴った。この時間に事業所に電話が鳴るというのはあまり経験がなく、違和感を覚えつつも電話にでると、Jさんにお世話になっている利用者の方ということでJさんに変わる。

電話の相手はご主人さまで、奥様がトイレで座り込み立てなくなっているとのことで、どこに連絡して良いかわからずJさんに連絡をしてきたとのこと。

状況も状況なもんだから、自分とJさんはすぐに事業所飛び出し、救出に向かうことに。

電話の時点ではあまり詳細な状況を確認できなかったもんだから、これは結構な一大事であって、トイレ内で転倒をして骨に異常があり立てない状況であったり、急な心筋梗塞などなど色んな不安が過ぎりながら、それこそ救急車でも呼ぶ状況も考えていた。

車で走り10分ほどの距離にその利用者の方のマンションがあり、Jさんと自分はそのマンションへと向かう。

自宅に着くと、トイレのドアが開けられていて、奥さんがパンツが降りたままの状態でトイレの床に座りこんでいる状況だった。

話しかけてみると、意識はしっかりしているし、出血もなく、骨折などをしているがために動けない状況ということでもなさそうで一安心だった。

しかし、どうやらその奥さんは認知症があるご様子で、まずは床ではなく便座いに一度座っていただことJさんと自分で体を持ち上げようとすると、激しく「痛いっ痛いっ痛いっ!」ような感じでなかなか移動をすることが不可能な状況・・・。

実は、旦那さんも以前に倒れ現在は歩行はご自分でできるものの片麻痺があり奥様をどうすることも出来ないがために連絡があったということが今回の出来ごとの始まりだった。

自分とJさんのおっさん2人でも苦戦するこの状況下において、片麻痺のある旦那さんがどうにもできないというのは当然だし、旦那さんも相当に歯がゆい思いをしたのだと思う。

さて、そうこうしているうちに何度も奥さんに話しかけ、移動をさせようとするも、やはり奥さんが動いてくれそうにもなく、Jさんと自分は苦戦をしていた。

そんな最中、もう介護の現場を約2年ほど離れていた自分の潜在意識が覚醒し、この状況は半ば強引に移動するしかないという結論に達した。

面白いもので、やはり現場で育ってきたから、同じような場面がいくら現場を離れていても覚えている物で、奥さんに苦戦する最中、よく入浴介助で拒否をされ、顔をつねられたり、時にがゲンコツが飛んできたりとういう状況が蘇る。

こんな状況下で本当に申し訳ないのだけど、現場経験の長かった自分は、密かに自分の体内でアドレナリンが「わっしょいっ!わっしょいっ!」ってお祭り騒ぎになっているのを感じ始めていた。

そんな訳で、Jさんに「これはもう強引に2人で抱えベットに運ぶしかない作戦」を伝え、Jさんが脇を、自分が足を抱えてベッドまで運ぶことになった。

奥さんには本当に申し訳なかったけど、もうこの選択肢しか残っていなかった。

案の定、少しの抵抗はあったものの、無事に奥さんをベッドまで運ぶことができたのだけど、いつもリハビリパンツの下にパットをしているのだけど、トイレ内で奥さんが立っているうちに旦那さんがつけているので付けられないとのことだった。

なので、自分がつけさせていただき、Jさんはさすが、あらかじめ同じことが起きないようにと持ってきたトイレ用の手すりを付けた。

パットを付けさせていただいている最中、これまた不謹慎なんだけど、奥さんに向かって、「じゃあ今度は向こうを向いてください」や「腰を上げてもらえますかぁ!」のような現場の発言に懐かしさと充実感を覚える自分。

今後の自分に注目である。

さて、Jさんが手すりを設置している間に自分はというと、今回の状況を旦那さんに聞いてみた。旦那さんも麻痺があるので、言語障害も少しあるのだけど、そんな状況でも自分に丁寧に説明をしてくれた。

夜間はオムツではあるものの、日中は奥さんがトイレに行きたいという希望もあるし、入院していた病院から退院する際にも実際にトイレをどうしたら良いか?という具体的な指示はなかったとのこと。

なので、奥さんが行きたいという時と、2時間おきに旦那さんは奥さんをトイレに連れて行っていたとのことだった。

自分にも麻痺がありながらも、認知のある奥さんを2時間おきにトイレに連れて行っているという話を聞いて、自分は正直驚いたし、そして感動もしたし、そして、なんだか寂しい気持ちにもなった。

今回はたまたまJさんと自分が事業所に残り連絡が取れたが、あのままどうすることも出来なかったら少なくとも一晩はトイレの床に座りっぱなしなっていたことだって考えられる。

これが、いまの時期だったからまだしも、真冬だったらと思うとぞっとすると思った。

介護保険なんてシステムがあるにも関わらず、結局のところこういうことは起きてしまうし、こういったことを未然に防ぐことの難しさであったりということを感じたりと、なんだか色々と考えさせられた。

実際に「老老介護」っていうのは、数多くあるし、お年寄りの独居もそうだし、本当にぎりぎりって感じが否めないことが多い。

帰りの車の中でJさんと自分は、今日みたいなのが「THE介護」だと話をし、これが現在の現実あり、自分たちはこうした人たちの力になるべく仕事をしているのだと2人で再認識させられた出来事だった。

麻痺がありながらも、自分の体だってままならないのに2時間おきにトイレに連れて行った旦那さんの「夫婦愛」を持っても解決できないことがある。

そういったことが起きないようするのが自分たちがやらいといけないことなんだと、なんだかJさんと2人でしみじみしてみたりもした。

その後、その利用者の担当のCMさんが今回の一件のことをあまり真剣にとらえていないというか、少しばかりJさんや自分が考えていなかったような発言をしていたことを耳にした。

専門相談員っていうのは、こんな状況下においてもケアマネージャー様には強く物は言えないし、自分が抱いているその利用者の方々にとっての最良のイメージと明らかに違うことが結構ある。

正直、そんなポジションに時として歯がゆい思いをすることもあるのだけど、どんな形でもあってもいつの日か、そんなJさんや自分のイメージがすんなりと受け入れられ、そのイメージがその利用者の方に最良な生活なるというカタチが来るように頑張っていこうと思ったりした。

なんだか胸が色んな意味で熱くなる出来事だったので文章に残しておこうと思い、日記をかいてみたりした。

いっつもこういったおバカな感情論を書くと後悔するので、これだけではまたお熱くなってしまうので、最後にしっかりと「〆」をしようと思う。

少し前に、うちで軽いお料理大会のようなものをやった際に、うちの事業所のケアマネージャーさんが作ってくれた「豚汁」の味が忘れられなくて、そのケアマネージャンさんから材料を聞き、今日自分なりに作ってみた。

さすがにあの味を越えることが出来なかったのだけど、自分なりに少し近づくことができたので、まあまあ満足している。


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*男だったら概ね大好きな「豚汁」なのだけど、今まで自分が戦ってみたことがなかったのは、自分でも驚いている。もちろん、今日を境に月に数回は作るであろうレシピと歓迎をしようと思う。

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*最近のテーマはチャレンジだから、今日は色んな調味料をコラボしてみた。味噌、醤油、本だし、ごま油、白だし、砂糖なんかを加えてみたらまあ戦えた。

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*ほうとうみたにしたらおいしいのでは?という衝動に駆られ、ぶち込むことに。まあ、鉄板ですよね。

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*なんでもそう。「一番搾り」と一緒だと、なんでもおいしそうに見える理論に最近気が付き、今日は一番搾りとの撮影を試みる。思ったよりも普通な光景に逆にびっくり。





ニックネーム どらごん at 00:20| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年10月02日

上半期と秋の夜長

今日は10月2日。お疲れさま。上半期。俺。

って訳で、もはや、よもや、自分をねぎらうことによって、明日からの日々も頑張っていこうと前向きになることを必殺技と謳うことになってきた30代も半ばな秋だったりする。

この家に引っ越しをしてきて2回目の秋を感じているのだけど、あきらかに昨年の秋とは違う秋を過ごすことができている。

この秋。この部屋で過ごしていてあることに気がつくことができたことによって、少しばかり風情のある秋を過ごしている。

それは、聴覚、嗅覚を刺激する秋をこの部屋では感じることができるということ。

なんで昨年気がつかなかったが残念なんだけど、今住んでいる部屋は、夜になると「鈴虫」が声高らかに合唱し、ベランダの外には「キンモクセイ」の木があることによって、窓を開けていると、ほんのりキンモクセイの香りがすることについ最近気がついた。

そんな「風情がある」ということに対して素直に「幸せだ」と感じるようになった自分に最近驚いているし、これがもしかしたらかの有名な「年を重ねる」ということなのか?と自問自答をしてみたりもする。

ちょっと早すぎやしないかい?ってやや危機感すら感じるものの、こんなもの内緒にしておけばよいし、自分勝手に心の中で「ぐっ」ってきてりゃーばれるもんではない。

かなり前の日記に、人間苦労を重ねた分だけ、相手の気持ちになれるがために、年を重ねると涙もろくなるのでは?という持論を日記に記した記憶があるのだけど、まさしくそんな感覚に近いのかもしれない。

人生の半分ほどを生きていた自分。とうとう「鈴虫」や「キンモクセイ」の主張を感じることのできる経験を重ねてきたのだっ!と自画自賛してみたりもする。

だからと言って、鈴虫の音色感じながら「うんうん。お前の気持ち、良くわかるよ・・・おれっ」のような雰囲気のもと涙ぐんでみたりはしないのだけど、なんだか、あの音色の自分の体への届きどころが違ってきている感は否めない。

「しみる」という表現がしっくりくる。

「しみいる」なのかもしれない。

さて、そんなややおっさんちっくな冒頭を記してみたのだけど、今年も早いもので上半期が終了した。

日記の更新頻度でもおわかりのように、そこそこ忙しい日々を過ごしている。なんだかわかんないのだけど、1日1日を突っ走っているような感覚のもとこの上半期が終了した。

自分が頑張ったのか?とか、もっとできたのか?ってことは自分が判断することじゃないし、ある意味、あまり気にかけなくて良いと思っているのだけど、自分なりには「笑って仕事が出来ていた」ってことで良いと思っている。

そして、自分がやった仕事の中で、少しでもお年寄りの役に立てて、また、誰かのためになったのであれば、自分は良い仕事をしたのかもしれないと考えることにしようと思う。

変わった。自分は変わったなんて思う。

最近、昔の後輩や、友人の弟さんなどなど、仕事で大きな壁に当たっている若者からの相談を受けることが多い。

ちょっと前の自分なら「パッション全開」での回答が多かったものの、最近の自分はなんだか社会様とのバランスを考えた回答を話すようになってきていることに気がつく。

自分から「パッション」を取り上げてしまえば、残るものなんて・・・と思っていたが、逆に「パッション」だけでは乗り越えることのできない、ある意味「大人の壁」という壁がこの世には存在すること知った。

それを知ってしまったがために、なんだか大人しくなってしまった自分を感じたり、大きな地団駄を踏んでみたりもするのだけど、これが社会なんだよって言われてしまえばそうであったりもする。

だけれども、自分の目標を見失った訳ではないし、まだまだ過程であることは間違いなし、とにかく今は自分が今年が始まるときに立てた目標に向かってこつこつやっていくことが重要だと感じている。

さて、軽く上半期を振りかえったことにして、こんな堅苦しい感じだと、今日の夜ゆっくり寝れないから、一応上半期お疲れさん俺。ってことで、本日自分へのご褒美で作った逸品をアップしておこうと思う。

どうしても、あの「ほんだし」のCMの逸品と戦ってみたいと願望が凄く、今日という良いタイミングで一戦交えることにした。

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*あの俳優さんがやっている姿を見て、もちろん自分がやれば同じ雰囲気にっ!ってことでやってみたのだけど、あの雰囲気になったのかという判断をどうくだすのか?ってことがミステイクだった。だって、1人ぼっちでやったのだから。


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*白菜を切り、豚肉を重ねている時に、なんだかある衝動に駆り立てられる。あれっ?これって、1人より2人のほうが楽しかったのでは?という衝動。豚肉と白菜のように仲良く重なりあいながらの料理。うん。変態だ。ちなみに、画像はほんだしを振りかけた時のもの。


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*うん。やはり、想像していたとおり「うまそう」である。1人鍋って寂しけど、結局味は間違いないから、最終的には1人でやったことの寂しさなんて忘れちゃうんだよねっ。って、うそうそ・・。


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*おまけだよね(笑)油揚げに、納豆をねじ込んだもの。最近、また自分の中で「納豆ブーム」が凄い。ちなみに「また」って書いたけど、今の前がいつだなんて、みんながどうでも良いと思っているなんて知っている。


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*俺、最近思うのだけど、もしかしたら結構料理ってやつを「やれる奴」なのかもしれないと。


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*はいっ完成。切って、入れて、煮込むだけ。あっ、誰でもできるか。しかし、本当に「1人分」って難しいよね・・・。こんだけのボリュームを食らうのには気合が必要。週末はカロリー関係なしっ!これ、最近の持論。平日は宅配サービスだからね。


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*彼も「雑炊」をしていたので、もちろん俺だって!!と、雑炊にまで手を出すことに。だがし。画像の通りのあのボリューム。雑炊を食らっている時は、自分が胃からさらなる雑炊が出そうな雰囲気に・・・。いらないライバル心は禁物である。


秋の夜長に、料理して、映画見て、音楽聞いて、本を読む。

あっ、お見合いサイト登録しよ。









ニックネーム どらごん at 20:21| Comment(2) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年09月04日

めでたい事とか

単刀直入に記しちゃうんだけど、完全に宅配サービスの夕飯に「飽き」を感じ始めている・・・。と、同時に前回の日記に記したソフトマッチョ計画も苦戦を強いられ、マイナス4kgからなかなか落ちないという壁が立ちはだかっている・・。

んな訳で、そろそろ仕事帰りにジムとかっていう選択肢にも迫られている今日この頃な訳なんだけど、仕事もなんだかばたばたしているし、そんなテンションにもなれないわけであってどうしたものか・・・。

でも、ここ最近テレビでやっている世界陸上なんかを見ていると、あのアスリートのバディーに完全に憧れを感じ、逆にあのバディーは自分を日々追い込んだ賜物であって、ある意味サラリーマンな日々のおっさんには「憧れ」でしかないのかもしれない。

まあ、まだ初めて間もないからこつこつやって行こうと思う。

さて、ここで急に話題を変えたいと思うのだけど、今年は本当に様々なことが起こり、絶対に忘れることの出来ない年になること必至なんだけど、それはネガティブな意味合いだけでなく、ポジティブな意味合いでもそう感じている。

何といっても「家の姉ちゃんが行った」ってことが一番のめでてぇーことだと思うし、「職場のジョージさんも行った」ってこともそうだと思う。

このままの文章だとただの安物AVみたいだからしっかりと文章を続けようと思うのだけど、ようは「ご成婚おめでとう!!」ってことになる。

とくに家の姉ちゃんが行ったってことに関しては、弟の自分からしてみれば、相当におめでたいことだし、親が子を思う気持ちではないけど、なんだかほっとした気分に近いものを感じている。

やはり自分に近い人が幸せになるって言うことは素晴らしいことだと思うし、ここ最近立て続けに自分の身近な人が「新しいカタチ」を形成していくことが本当に喜ばしいと思う。

最近なんだかタイミング的なのか、自分の精神的なベクトルの問題なのか、そういった「家族」であったり「家庭」であったり、「親子関係」であったりという場面が非常に目に入ってくるし、考えさせられるし、自分の心を刺激する。

先日。最近は徒歩で駅まで行っているのだけど、そんな日常的な光景の中でなんだか馬鹿みたいに感動というか、印象に残ったごく普通の日常的な光景を目の当たりした。

マンションの1階から親子が出てきて、きっとこれから小学校へ通学するのであろう娘さんをお母さんが見送るという場面だった。

小学校低学年であろうくらいの娘さんが「いってきまーす!」って感じで、お母さんは「気を付けて行くのよ、いってらっしゃい」のような、何も変哲もない日常の光景だった。

そんな日常的な光景の中に自分的に印象に残ったのが、そのお母さんが娘の後ろ姿を見る雰囲気に激しく愛情を感じたからだ。

娘の姿が結構遠くに離れていっても一時も視線をそらすことなく、激しく愛情に満ち満ちた視線でその娘さんの背中を見ている視線に、これぞ本当の「愛」ってやつなんだなって思った。

「あんたは私のこと愛してないでしょ!馬鹿ちんがぁーー」や「ねぇねぇー、私のことどれくらい愛してるぅぅ??」や「飯島愛」などなど、世間には色んな「愛」があるのだと思うのだけど、あの「母、子を思ふ」のような愛情に勝るものはなかなかないのであろうと思った。

出勤前からあんな優しい光景を目の当たりにするってのはなんだか感慨深いものがあったし、自分自身も精神的なベクトルがそういった方向に向いていたのだと思うし、なんだかそういったものを欲しているのかも知れないし、まあ、なんだかラッキーな気持ちになった。

今年は本当に色んなことがあったし、日本全体がなんだか今までになかったモードになっているように思う。

「頑張ろう」であったり、「人の力」であったりというキャッチフレーズの元、なんだか「再生ムード一色」であったりする。

だけれども、基本的には人間の根本的な部分って言うのは変わっていないし、日本人特有の「思いやりの精神」であったり、「子を思う気持ち」であったりというものは何も変わっていないし、ある意味「継続」で良いのだと思う。

別に背伸びしなくたって良いし、自分が今できることを自分らしくみんなやっていけば良いのだと思ったりもする。あのお母さんのように。

そんなことをなんとなく世界陸上を見ていて思った今日この頃。

なんでこんな日記になったのか訳がわからないので、自分が最近夕飯に食べている、宅配サービスをアップしたりしてごまかすこととする。

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*これ。おいしいけど、たまに無性に「牛角のハラミ」とか食べたくなる事実。





ニックネーム どらごん at 22:44| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする